Being人名・グループ事典


■秋本瑞月(あきもとみずき)


京阪神を中心にアーティスト活動を行っていたが1999年02月よりsweet velvetとして活動開始。velvery voiceという、やわらかい声の持ち主とし、独特の歌声を持っていた。更に本人はかなりのフランス好きでsweet velvetの活動もFranch POPとなっている。2000年半ば、sweet velvet解散後は消息不明である。お家が一番落ち着く場所だとか。


AZUKI七(あずきなな)


1999年、FIELD OF VIEWのシングル「CRASH」で作詞家デビュー。またDEENの「遠い 未来へ」WANDSの「「今日、ナニカノハズミデ 生きている」」などを作詞。その後。1999年12月、GARNET CROWのキーボードとしてインディーズデビュー、2000年03月メジャーデビュー。GARNET CROWとしての活動の傍ら、作詞家としても活動しSoul Crusadersや岡本仁史への提供など各種アーティストへの提供も行っている。大黒摩季とは仲がよいことで有名。デビュー当時、別名で紹介されていたが作詞家デビュー時に現在の名前になった。


■AYAKO(あやこ)


明石を編曲に迎えた1stシングル「夜の数だけ愛しているから」でデビュー。のみ。


■井上真一(いのうえしんいち)


1999年02月、デモテープを通じて知り合ったメンバーでsweet velvetを結成。ギターとして活躍。その後2000年半ば、バンド解散を機にBeingを脱退。その後、同メンバーであった塚田と共に、音楽活動を続け、井塚組というバンドを結成。バンド名をHeaven's Hillに改称し、現在も活動を細々と行っている。


岩井勇一郎(いわいゆういちろう)


1997年頃、自身のバンドで活動、船木と出会いNew Cinema蜥蜴が1998年結成される。New Cinema蜥蜴として活動する傍ら、ZARDなどで作曲活動を行っていった他、2001年には新人長谷実果の作品を手がけるようになる。2002年半ばにバンド解散。その後はスタジオミュージシャンとして活動し、2003年秋、三枝夕夏 IN dbに参加し現在まで活動を行っている。一部のヲタからはしめじとしてしたわれている。2004年にはZARDツアーなどにも参加。


宇徳敬子(うとくけいこ)


スターダストプロモーションのモデル。B.B.Queensのコーラス隊のB.B.シスターズのメンバーに抜擢され21歳時にB.B.Queensに参加。翌年1991年にMi-Keと改名し、ユニットデビューし「想い出の九十九里浜」で紅白出場を果たす。1994年Mi-Ke終了後、ソロデビューを果たし現在まで活動中、最近ではSECIL MANAという変名でコーラスとしても活躍している他、パン工場などのライブに出演している。なお外部アーティストへの楽曲提供も行っており瀬戸朝香薬師丸ひろ子などに楽曲提供を行っている。


エド山口(えどやまぐち)


■E:mju(えみゅ)(4D-JAM)


4D-JAMの2ndシングル「City of tracks」から4D-JAM加入。2000年04月にモデル活動専念のため脱退している。但し、05月にリリースされた「B ORIGINAL」のPVには参加。


■岡本仁(=岡本仁志)(おかもとひとし)(GARNET CROW)


1999年夏、ZARD船上ライブにサポートメンバーとして参加。またZARDの作品にも参加を果たし、1999年12月、GARNET CROWのギターとしてインディー、2000年03月にメジャーデビューを果たす。その後2000年にソロデビュー、またαステーションFM京都や、THE MUSIC 272において吉田知加と週代わりでパーソナル番組を努める。吉田知加引退後は岡本が完全に全てを担当。また最近では倉木麻衣への提供を行うなど、多方面で活躍。


GARNET CROW(がーねっとくろう)


Mai・K全米デビュー時にスタジオミュージシャンとして集まったメンバーで意気投合したメンバーで結成される。1999年12月、JASON ZODIACと共にTENT HOUSE第1号アーティストとしてインディーズデビューを果たし、2000年03月には既に決まっていたTENT HOUSEからの第2弾ミニアルバム「prazma-hopper」をキャンセルし、メジャーデビュー。楽曲製作を完全にバンド内メンバーで行っているスペシャル集団として活躍。メンバーはボーカル中村由利、キーボードAZUKI七古井弘人、ギター岡本仁(2000年岡本仁志に改名)というメンバー。


■河口絵里香(かわぐちえりか)(cocott)


cocottのメンバーとして1999年デビュー、作詞も担当していた。2000年のリリースを最後にcocottは自然消滅。


川越英樹(かわごえひでき)(New Cinema 蜥蜴)


1998年よりNew Cinema 蜥蜴のメンバーとして活動。2001年04月に脱退。その後Beingスタジオミュージシャンとして残るも、完全脱退。現在は雑誌編集者に就いている。


川島だりあ(かわしまだりあ)(FEEL SO BAD)


ZAINの前身のB-JINよりデビュー。ZAIN誕生後もB-JINは川島だりあ専門レーベルとして存続。その後レコーディングに参加したメンバーらとFEEL SO BADを結成し2001年まで活動。その他、クリエイターとしても活躍し近年では愛内里菜など。2005年08月にFEEL SO BAD再結成。


■神吉徹也(かんきてつや)(cocott)


cocottのメンバーとして1999年デビュー、ベースを担当していた。2000年のリリースを最後にcocottは自然消滅。


■KEY WEST CLUE(きーうえすとくらぶ)


中谷美紀が所属していたユニット。相方はその後aishaとして再デビュー。


■北浦正尚(きたうらまさたか)(cocott)


1999年cocottのリーダーとしてインディーズデビュー。その傍ら倉木麻衣愛内里菜などに作品提供。2000年にcocottは活動終了。その後Beingを脱退し、a.miaなどのプロデュースを担当している。



車谷啓介(くるまたにけいすけ)(New Cinema 蜥蜴三枝夕夏 IN db)


1992年東京で活動するバンドFIELD FACTORYに参加。1998年夏に脱退し、New Cinema蜥蜴のドラムとして参加する。2002年の解散まで活動した他、ホームページ京都、SO-HOTの司会者としても活躍。2002年09月28日の初回放送分を最後にSO-HOT、10月放映ホームページ京都の司会を最後にBeingを脱退。その後2003年再度Beingに復帰。パン工場などでスタジオミュージシャンとして活躍し、2003年秋、三枝夕夏 IN dbに参加し現在まで活動を行っている。2004年ZARDツアーにもパーカッションとして参加。一部のヲタからはマルクとして親しまれる。


栗林誠一郎(くりばやしせいいちろう)(渚のオールスターズ・B.B Queens・ZYYG)


渚のオールスターズ・BBクイーンズのメンバーなどを経て、高山征輝ZYYG結成。クリエイターとしてもZARDDEENなど活躍。


cocott(ここっと)


1999年Grage Indies Zapping Associationよりインディーズデビューし、アルバム2枚、シングル1枚をリリースし自然消滅的に活動終了。メンバーは北浦正尚、河口絵里香、神吉徹也の3人からなるポップ・ユニット。


近藤房之助(こんどうふさのすけ)


ブルース界のスター。下北沢に自身がオーナーのバー「STOMP」を持っている。


西城秀樹(さいじょうひでき)


桜っ子クラブさくら組(さくらっこくらぶさくらぐみ)


中谷美紀菅野美穂加藤紀子などが在籍したアイドルユニット。


■茅野佐知恵(さのさちえ)


塩尻兼司(しおじりけんじ)(=シオジリ・ケンジ)(4D-JAM)


1997年頃から4D-JAMとして活動。及びクリエイターとしても活動。1999年ふるかわ魔法がボーカル加入しデビュー。2001年まで作品をリリースし、2002年完全活動休止宣言。その後しばらく活動不明であったが2005年寺尾仁志の1stアルバムのプロデュースを行う。


しじみとさざえ


モノマネ。Mi-Keなどのモノマネ曲をリリース。


■島影絵里香(しまかげえりか)(=ELIKAelika)(Trade Love)


1980年代後半にELIKAとしてデビューし、活動。その後充電期間を経て徳永暁人を編曲に迎えたTrade Loveを結成。その後Being脱退後elikaとしてシングルリリース。


■清水良輔(しみずりょうすけ)(sweet velvet)


1999年02月、デモテープを通じて知り合ったメンバーでsweet velvetを結成。ドラムとして活躍。その後2000年半ば、バンド解散。


■SILK(しるく)


■しろコーラ(しろこーら)


sweet velvet(スイート・ベルベット)


京阪神を中心にvelvery voiceを持つアーティストとして活動していた秋本のデモテープがプロデューサーに渡る。同じく大阪で音楽活動をしていた井上、清水、塚田のデモテープが知人を通じてプロデューサーのもとに渡り、ここに活動していた彼ら4人がプロデューサーの紹介により知り合う。お互いにサウンドの心地よさを追求していたことから、バンドを結成。秋本のルーツであるFranch POPを取り入れ、velvery voiceを活かしたサウンド作りをコンセプトに活動を始める。 sweet velvetというバンド名は秋本のvelvery voiceを大切にするという意味と、velvery voiceをsweet velvetと井上が言い替えていたことから付けられたとメンバーは語る。 心地よいサウンド、すぅーと耳に残ってゆくメロディー、女性なら一度は抱く甘く切ない思いを秋本瑞月が独特の柔らかな声で奏でる。1999年02月10日、GIZA Studio初のメジャーリリース作品として発売された「I JUST FEEL SO LOVE AGAIN〜そばにいるだけで〜」でデビュー。1999年に3枚のシングル、インディーズから1枚アルバム、1枚シングルをリリースしている。しかし2000年2月、1stアルバムをリリース後、レコード会社から活動休止宣言を出され、解散している。なおシングル作品には古井弘人、アルバムには小西康治などが参加。作詞には大野愛果が参加。また大賀好修が演奏に参加している。


■関ゆみ子(=関有美子・瀬木祐実子)(Beaches)


3つの名義などでCDリリースをしていた。Beachesのメンバーでもある。


■田中美奈子(たなかみなこ)


W-NAO(だぶるなお)


売れる前の飯島直子が在籍。相方は後にスカパーch272のMEGA HITSの司会の松山と結婚。


TARAKO(たらこ)


ちびまるこちゃんのまるこの声優。80年代後半くらいBBクイーンズや関ゆみ子などちびまるこちゃんのタイアップをBeingが持っていたためその絡みでBeingがプロデュースを担当。


■TUBE(ちゅーぶ)


THE TUBEとしてデビュー。メンバーは前田亘輝春畑道哉など。


■塚田直行(つかだなおゆき)(sweet velvet)


1999年02月、デモテープを通じて知り合ったメンバーでsweet velvetを結成。キーボードやベースとして活躍。その後2000年半ば、バンド解散を機にBeingを脱退。その後、同メンバーであった井上と共に、音楽活動を続け、井塚組というバンドを結成。バンド名をHeaven's Hillに改称し、現在も活動を細々と行っている。


辻尾有紗(つじおありさ)(=辻尾有沙・松永安未)(the★tambourines)


1995年にFIELD OF VIEWの「Dreams」の作詞を辻尾有沙という名前で担当。その後辻尾有紗に改名し、AMEMURA O-TOWN、ZAINより「青い空に出逢えた」でデビュー。2ndシングルは発売中止になりそのまま終了。その後は松永安未に改名し再デビューをthe★tambourinesとして果たす、倉木麻衣のスタイリストとしても活躍している。


坪倉唯子(つぼくらゆいこ)(B.B.Queens)


1980年代から活動し、B.B.Queensのボーカルとしても活躍。また「空と君との間には」で有名な中島のサポートメンバーとしても活躍。


■テンテン(てんてん)


■中尾弘(なかおひろむ)(=Captain Diamond)(4D-JAM)


1997年にシオジリケンジとのユニット4D-JAMを結成。ふるかわ魔法をボーカルとして迎え1999年インディーズそしてメジャーデビュー。2001年のリリースまで活動、その後2002年に活動休止宣言を出し、その後は4D-JAM内で唯一Beingに留まり、GIZAクリエイタースクールのコンピュータミキサーの講師として活躍している。


中谷美紀(なかたにみき)(桜っ子クラブさくら組KEY WEST CLUB)


東とのユニットKEY WEST CLUBを結成、桜っ子クラブさくら組とメンバーとしても活動。その後ソロデビューを飾る。特にヒットせずにBeingを脱退、1993年に「ひとつ屋根の下」ドラマに出演しブレイクを果たし女優として活躍、音楽はその後坂本龍一プロデュースによりヒットを飾る。「砂の果実」が有名、Being時代の話は黒歴史となっている。


中原薫(なかはらかおる)


スターダストプロモーション。シングル2枚とアルバム1枚をZAINよりリリース。


■中村彩花(なかむらあやか)


牧穂エミの変名との噂がある。シングル1枚のみのリリース。


中村由利(なかむらゆり)(GARNET CROW)


1999年12月、エリート集団GARNET CROWにおいて、全くの新人としてデビュー。作詞家としてGARNET CROWの曲を担当するなどしている。最近では三枝夕夏 IN db岩田さゆりなどにも提供を行っている。


■中畑幾久子(なかはたいくこ)(=中沢晶)(BAJI・BAJI-R)


1991年3月に「恋のナースステーション」をリリースのみ。後にBAJIのボーカルとして活躍する中沢と同一人物。POのb-gramでリリースしたのはZARD、水島由紀子とこの中畑幾久子のみ。


渚のオールスターズ(なぎさのおーるすたーず)


New Cinema 蜥蜴(にゅーしねまとかげ)


1997年、岩井のライブにて船木とが出会い、舩木、岩井大阪にてデモ制作。1998年夏に車谷、川越が加入。New Cinema 蜥蜴が結成される。1998年10月20日1stインディーズシングル「360°」限定1,000枚プレスが2週間で完売。1999年02月にはGIZAよりメジャーデビュー。ライブなどを経て着実に活動していく。2000年には13公演にも及ぶ全国ツアーも行い、2001年には川越脱退、脇田が加入している。2002年半ば、バンド活動の考え方の違いから解散となっている。


■のぞみ(4D-JAM)


4D-JAMの1stシングル「COCORO」時のダンサー。


長谷実果(はせみか)


2000年、HIP HOP主催スーパースターライトコンテストに出場。2000年12月08日にはヨーロッパのインディーズレーベルであるMLPレコードよりシングル「Secret Garden e.p.」をリリース。2001年05月23日にはシングル「KISS」でNew Cinema蜥蜴の岩井勇一郎の編曲により日本メジャーデビュー。その後2001年の間に「オルゴール」「全て消えてしまっても…」を
リリース。2002年に入り、アルバム、アナログ盤リリース予定があったがその矢先に活動休止。アルバムでは「泣いて泣いて」「仮フラワー」という曲がcorinから提供される予定であったらしい。


4D-JAM(ふぉーでぃーじゃむ)


1997年、シオジリケンジ、中尾弘のユニットとして活動開始、1998年後半、ふるかわ魔法がボーカル加入し、インディーズデビューし、すぐメジャーデビュー。またダンサーみらいあんどのぞみが1stシングルのみ加入、またDJ:Ejuが2ndシングル〜5thシングルまで参加。2001年のリリースを最後に2002年正式に活動休止宣言が出された。


■PLI:Z(ぷりぃーず)


古井弘人(ふるいひろひと)(GARNET CROW・ウォームアップ)


DEEN山根公路とのユニット「ウォームアップ」として活動などを行っていたほか、1993年頃からBeingアーティストの作品に携わり、DEENFIELD OF VIEWW-NAO小松未歩などにsweet velvetのシングル作品などを担当する、裏方として活躍。1999年12月にGARNET CROWとしてインディーズデビュー2000年03月にメジャーデビュー。その後も提供などでも活躍。


■古川真帆(ふるかわまほ)(=ふるかわ魔法)(4D-JAM)


学生時代ヨーロッパに留学し、アカペラ路上ライブをして活動を行う、帰国後、1998年のスーパースターライトコンテストグランプリを受賞。1998年後半から4D-JAMのボーカルとして活躍し2002年まで活動。また2001年の倉木麻衣やB'zのツアーに参加の他、長谷実果などの作品にコーラスとしてもレコーディング参加。2002年にBeingを脱退し、2003年2月にfm Osaka主催の岡本真夜のカフェライブでコーラスを担当。その後、北川氏とのユニットThe Blue Filmsとして活動し、2004年1stシングルをリリースし、2005年10月1stアルバムをリリースしている。


■真越さとみ(まこしさとみ)(rumania montevideoRAMJET PULLEY)


rumania montevideoリズムセクションを支えるベーシストでバンド1番の元気者。楽器との出会いは高校時代にギターから。自分自身を表現するためのものとして音楽に関わってきた彼女は枠にとらわれず、自分らしさを探究していくスタイルで音を表現することにより、“自分の思いを言葉にできない人々”に伝わる何かを見つけたいという。ラムジェットプーリーでは、作詞に挑戦。メロディーとボーカル松田の声の響きにこだわった言葉選びで、新たな作詞スタイルを披露している。1998年、三好兄弟が率いていたrumania montevideoにベースとして加入。2000年にはRAMJET PULLEYのメンバーベースとしても活動。2003年1月のRAMJET PULLEYとしてのリリース、プロモーション活動をしていた夏頃のTV出演後最後を最後に消息不明。


間島和伸(ましまかずとし)(rumania montevideoRAMJET PULLEY)


意外にも実は熱いギタープレイを見せてくれる間島“マッシュ”和伸。普通のことが 大嫌いで、トリッキーなプレイ、意表を付くことが大好きという、三好姉弟とは幼なじみの彼。高校時代にドラムを始め、その後ベース、ギター、ボーカルなどを始める 。“アナログジャケットおたく”を自称するメンバーの中でも無類の音楽好き。1998年からrumania montevideoとして活動。2000年にはRAMJET PULLEYを結成。作曲を担当する。2003年01月頃までにそれらの活動が休止状態となる。また、松橋未樹に作曲提供に、2005年には北原愛子アルバム「Message」で作曲を担当。一応まだGIZAに残っているようである。




松田明子(まつだあきこ)(rumania montevideoRAMJET PULLEY)


子供の頃から父親の影響でカーペンターズサイモン&ガーファンクルを聴いたのが 音楽との出会い。高校時代にサックスと出会いキーボートとして1998年rumania montevideoに参加。2000年にはRAMJET PULLEYを結成。ボーカルとしても活躍している。2002年初期頃を最後にrumania montevideo、2003年01月頃以降にRAMJET PULLEYとしても活動を行っていない。2003年にはhillsパン工場でサーズディライブに参加したほか、年末にTAK MATSUMOTOによる邦楽カバーアルバムに参加したのが一番最新である。


松本孝弘(まつもとたかひろ)(B'z)


B'zのメンバー。デビュー前からBeing内で提供等行う。1988年に稲葉浩二を紹介されB'zを結成、1997年には七緒香のプロデュースを担当。


■m@ru(=MARU)(ck510 feat m@ru)


2001年、長谷実果の3rdシングルにコーラス参加、その後スタジオミュージシャンとしてデモテープ製作を続け、2004年NEO GENERATIONにck510 feat m@ruとして参加。


Mi-Ke(みけ)(=BBシスターズ)


スターダストプロモーション宇徳敬子・村上遥・渡辺真理のユニット。元々はBBクイーンズのダンサーBBシスターズとして活動し、Mi-Keとして単独でデビュー。「想い出の九十九里浜」でミリオン達成、紅白出場を果たす。解散後は宇徳はソロとして活動、村上はNOのナレーターなどで活躍。



三好誠(みよしまこと)(ピテカントロプスrumania montevideo)


ルーマニアモンテビデオの楽曲をすべて作曲。高校時代よりギターを始め、やがて作曲を手掛けるようになる。大阪でバンドを組み、ライヴ活動を行う傍ら、徐々に宅録のおもしろさにハマリ制作メインの音楽活動を 続けてきた。“テクニック”よりも“存在感”のあるギターリストが好きという彼は、その楽器選びも独特で、ビザールギター(日本の古いギター)を好み、ガラクタに 近いそれを見つけてきては、改造し自分なりのコレクションに加えているという。自身がお気に入りのギターは1978年製のギターとのこと。1998年頃、Beingインディーズレーベル、Grace Indies Zapping Associasionのサポートを受けバンド「ピテカントロプス」として活動を開始。その後実姉の真美にボーカルをしてもらったことをきっかけに、本格活動開始。真越さとみ、間島和伸松田明子らとバンドを結成しバンド名を「rumania montevideo」とする。その後2002年初頭までrumania montevideoとして活動。その後は事実上休止状態であるがバンド活動と共に、作曲活動を行っており、WAGなどで参加。吉田知加初の外部作曲家作品を生み出したりし、バンドの活動休止状態後も作曲家としては三枝夕夏 IN dbなどで行っている。2004年秋での登場が一番最新である。


三好真美(みよしまみ)(rumania montevideo)


ルーマニアモンテビデオの楽曲ほとんどの作詞を手掛ける。ピアノは2歳から、ドラムはJ-ROCK MAGAZINインタビューによると短大から、公式サイトのプロフィールでは高校時代からとなっている。過去のバンド活動ではヴォーカル、ドラム、キーボードなどいろいろな楽器に挑戦するなど、その才能は多才。彼女にとっての音楽とは、聴く度に発見があり、想い出が増え、世界が広がるという“旅行のようなもの”。ユニコーンを良く聴いていた。1998年、OLから弟三好誠のバンドに参加、rumania montevideoとして活動開始。2002年初頭を最後に事実上の活動休止、その後2003年6月、hillsパン工場でのサーズディライブに参加したのが最後の活動である。


■みらい(4D-JAM)


4D-JAMの1stシングル時のメンバーであったダンサー。


望月美玖(もちづきみく)(OOM)


2004年初頭オーディションを元に大賀によるユニットoomに参加。パン工場ライブなどで活躍中。


森下由実子(もりしたゆみこ)


スターダストプロモーション出身。パンチのある声が特徴。


柳原愛子(やなぎはらあいこ)(=三森愛子)


スターダストプロモーションのモデル。レイズインとBeingによりデビュー。するも特にヒットに恵まれず活動終了。その後三森愛子としてBeing外で再デビューしている他、女優としても活躍。


夜も一生けんめい's(よるもいっしょうけんめいず)


番組名によるユニット。


LOUDNESS(らうどねす)


ヘビメタ。高崎晃などのユニット。


RAMJET PULLEY(ラムジェット・プーリー)


2000年末、rumania montevideoとして活動していた松田明子、真越さとみ、間島和伸の3人が飛び出し結成された。シングル「Hello...good bye」でデビュー。2ndシングル「overjoyed」ではFM局のパワープレイを獲得した。その後、地道に活動していたが2003年01月を最後のリリースとし、活動休止状態となっている。


rumania montevideo(ルーマニアモンテビデオ)


1998年、三好誠ピテカントロプス」として活動開始。そのバンドの音源に三好真美がボーカルで参加したのがきっかけで活動開始。更に名前を「rumania montevideo」と改名する。
その後、麻越さとみ松田明子が加入。 レコーディングを開始する。その後間島和伸、加入。 12月末に限定カセット 「picnic」「Harf moon」 をGIZAインディーズレーベルGarage Indies Zapping Associationよりリリース。1999年03月にアナログ盤やインディーズミニアルバムをリリースし、4月14日、GIZAでメジャーデビューし、名探偵コナンのテーマソングでブレイク。その後2001年末「Tender Rain」を最後に活動が途絶えている。現在ではメンバーの一部はBEING登録抹消という噂。


■脇田 啓行(わきた ともゆき)(=New Cinema 蜥蜴・GRASS ARC.・ELF)


2000年、GRASS ARC.の新メンバーとして加入、すぐ解散(実際は加入前に解散ともいわれる)。その後、川越が抜けたNew Cinema 蜥蜴のメンバーとして2002年まで活動し、2003年よりELFとメンバーとして活動。


WANDS(わんず)


1991年に「ふりむいて抱きしめて」でデビュー。Being最盛期にヒットメーカーとして活躍。同時に3期にわたるメンバーチェンジを繰り返し2000年に解散。
1期…大島康祐上杉昇柴崎浩
2期…上杉昇柴崎浩木村真也
3期…木村真也・杉本一生・和久次郎
1期の大島は音楽性の違い及びSO-Fi結成のために、2期の上杉、柴崎は音楽性の不一致から。2期から3期にかけてはかなりゴタゴタぼろぼろの関係となってしまった。